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東京日日新聞昭和17年8月11日夕刊

「日米交渉決裂の顛末 浅間丸船中・野村、来栖両大使に聞く」

米、平和打開の意図無く 虐め通せば屈服と胸算

ルーズヴェルト、慇懃に隠す傲岸 野村大使談

 

【昭南にて九日高田本社前ニューヨーク支局長発】記者(高田本社前ニューヨーク支局長)はロレンソ・マルケルスにて野村、来栖両大使一行とともに浅間丸に乗船後、野村大使を船室に訪れ長時間に亘り次の如き興味深き対談を行つた(文責在記者)

 

高田 日一日となつかしい故郷へ近づいて参りましたね、御感慨また新たなものがありませう

 

野村大使 ロレンソ・マルケルスでグリップスホルム号の甲板から折柄入港して来た浅間丸とコンテ・ヴェルデ号の橋頭高く翻翻と翻る日の丸の旗を見た時、聖恩の有難さに涙が滂沱として止まるところを知らなかつた、畏れ多くて何と申してよいか判らぬ、浅間丸の船員や同船で来た故郷の人たちはみんな頑張つているね、一億一心の現れだ、これから日本へ帰るわれわれはウンとしつかりして一人残らずそれぞれの仕事に身を捧げなければならぬ。

 

高田 全くです、皆遅れ馳せながら御国のために命を捧げるんだと張切つています、ところで話題は変わりますが、開戦に至るまでの日米交渉の経緯と内容についてお聞かせ願いたいと存じます、勿論交渉の経緯、内容と申しましても主として米国側の立場をお差支へない範囲で承りたいのです。

 

野村大使 むづかしいことを言うね

 

高田 先頃ハロルド・ヒントンというニューヨーク・タイムスの前ワシントン特派員がハルの伝記を出しました、その中に大使とハルとの折衝の顛末がかなり詳しく書かれていますね

 

野村大使 読んだよ

 

高田 それによりますとルーズヴェルトもハルも昨春大使の御赴任に相当の期待をかけていたことが明らかであります、しかしその書に曰く『野村提督は事交渉の点になるとラザー・ヴェーグ(むしろ曖昧だつた)』とありますね、それはどういふ意味でせうか

 

野村大使 ハッハ……それは当たり前だよ、先方がさうさせたのだ、つまりルーズヴェルトはわが統帥権や内政に関係ある問題とか条約の条文の解釈等についてしつこく聞くもんだからいけないんだ、こちらは答弁の限りに非ずという訳だが、そこは多少外交辞令を用ひるからいよいよヴェーグにならざるを得ない、先方の身勝手な無理は通らぬよ

 

高田 支那及び仏印から撤兵せよとか、重慶政府をっ認めよとか随分乱暴極まる要求をしましたね、それで話を纏める積りでいたとは目が見えぬも程がありますね

 

野村大使 だから私は十一月二十六日のハル覚書を手交された時ハルに向つて

 これでは交渉は全く行詰つてしまふからもう一度ルーズヴェルトに会つて局面打開の方法がないか相談してみたい、ルーズヴェルトはその前の会見の時『友好国間に最後的言葉といふものはないといはれた』

とつけ加へたらハルも

 なるほどその通りだ

 

 とすぐにルーズヴェルトに取次いでくれた、そこで翌二十七日ホワイト・ハウスに大統領を訪問した

 

高田 それがルーズヴェルトと最後の会見でしたね

 

野村大使 さうだ、その時私はルーズヴェルトに率直に次のやうに言つた

 私とあなたとは三十年来の知合いであり、今まで日米交渉を何とかして和平裡にまとめたいとお互に努力し苦心したが、米国政府の方ではハル覚書にあるやうな要求をされるのでは私は到底まとめられない、真に遺憾である、あなたは友好国間に最後的言葉といふものはないといはれたがお互にも少しステーツマンシップを出して何とか局面を打開したいと思ふ

 

かういふとルーズヴェルトも流石に大統領に三度も当選した政治家であるだけに尤もらしく私の言葉をうけて

 

 私も遺憾に思ふ、ハル覚書は日本の行動と米国内の世論の大勢に鑑みて出さざるを得なくなつた、私は明日(二十八日)ウォーム・スプリングスへ休養へ出かけるが数日後に帰華するまでに日本から何とか色よい回答がもたらされることを希望する

 

と答へた大統領の態度はいつもの通りいんぎんで友好的であつたが米国側では積極的に打開策を講ずる様子がまるで見えなかつた、ともかくルーズヴェルトはウォーム・スプリングスに出かけたが、十一月末東條首相の行つた演説におどろいて予定をくりあげあわててワシントンに帰つて来た

 

高田 ルーズヴェルトが東條首相の演説におどろいたのは芝居ではなく本当におどろいたのですね

夏頃

野村大使 本当だとも

 

高田 するといよいよあぶないと思つたのですね

 

野村大使 米国政府は去年の夏頃から日米関係があぶない戦争はあるかも知れないと相当警戒していた

高田 米国が去年七月二十六日に日本の在米資金凍結令を出した時すでに日米は一種の戦争状態に入つたといへましょう

 

野村大使 あれで日米間の和平的解決は殆ど絶望となつたといつてもよからう、しかし米国は日本が支那事変で経済的に弱つているから頭を下げてくると誤算していた、輸出禁止をやり資金凍結を実施して日本がおどし通せるとタカをくくつていた

 

高田 ルーズヴェルト大統領と戦争の話をしたことがありますか

 

野村大使 ルーズヴェルトはウィルソン内閣の海軍次官を勤め海軍の○○は相当あつて自他共に海軍通を任じている、日米交渉が○○に迫り大分前にルーズヴェルトに会つた時、大統領は広い太平洋で戦争をするといふやうなことは非常に難しいといひ、艦隊が○○から一千マイルの遠距離に出動すると戦闘力が何%減じ、更○○○マイル出るとまた何%減ると一々数字を挙げて私に説明した

 

高田 ○○軍の若手の連中には主戦論が相当強かつたやうですね

 

野村大使 若手の将校は鼻息が荒かつたらしい

 

高田 そのくせ日本に対し日本軍がタイに進駐したなら米国は適当な手段を取るぞと高飛車に出たのは具体的に何をやる肚だつたのでせうか、当時は戦争以外の手段とすれば在米領事館の閉鎖乃至外交関係の断絶の手しか残つていなかった訳でせう

 

野村大使 米政府はそれ位のことは考へていたと想像される

 

高田 ヒントンの著書「ハル伝」を読みますと、ハルは来栖大使が飛行機で渡米した当時、既に日本軍が何時奇襲するかも知れないと懸念して米の陸海軍に対し度々警告を発していたと書いています

 

野村大使 米海軍の方でももう夏頃から相当警戒して比島の防備を拡大していたが、まさか真珠湾を爆撃されるとは夢にも思つていなかつた様だ

 

高田 日米戦争勃発前のニューヨークの某クラブに開かれた講演会で米の某海軍大将は一聴衆の質問に答へ、拳を固めては断じてあり得ないと豪語して大喝采を博したさうですが、その翌日真珠湾がやられたのですからさぞ寝ざめが悪かつたでせう

 

野村大使 見込み違ひだね

 

高田 ルーズヴェルトの驚きと狼狽ぶりが眼に見えるやうな気がします、御承知の通りあの日(十二月七日)大使と、ハルの最後の会見についてはヒントンもその著書の中に当時の劇的シーンを描きハルが、大使から手交された日本政府の回答文を読み終わつたとき顔を真つ青にして満面に怒りを含んでいたと書いていますね

 

野村大使 ハルは手をブルブル震はしていたが、私はあの日大使館を出る時来栖君に

 二人で釈然とした態度でハルに応対しようぢやないか

 

といつてそれで私は特に「アディウ」といふ言葉を使つてハルと最後の握手をして別れた、来栖君とハルは「グッド・バイ」といつた

 

高田 私はぐつぐつしていると捕まると思ひましたので直ぐにニューヨークへ引返すべく両大使に当分のお別れに参りましたが、あの時大使は大使館二階の書斎で書類の整理か何かしておいでになりましたね、その時のお気持は如何でした

 

野村大使 人事を尽くして天命を待つ気持だつた

 

高田 私が大使に「いよいよやりましたね」と申し上げると大使は「最後まで平和を念として誠心誠意使命の達成につとめたつもりであるがことここに至つてはやむを得ない、しかし戦争となれば徹底的に相手を叩いてしまはなければならぬ」とおつしゃいましたね

 

野村大使 さうだ、米国には平和を念とする日本の真意がどうしても判らなかつたのだ、いや寧ろ日米交渉を成立さす意思がなく日本を虐め通さうとしたのだ、戦争となればもう寸毫も仮借してはならぬ、しかも戦争といふものは一つの大平和を建設せんがための一方法に過ぎない、つまり戦争の終局の目的は大平和にある

 

 

戦争誘発の英の術策に引つかかる 来栖大使談

 

【昭南にて九日高田本社前ニューヨーク支局長発】野村大使を助けて「仲のよい夫婦」といはれる名コンビを作り対米折衝に奮戦した来栖大使は浅間丸船中で記者に次の如き感想を述べた(以下文責在記者)

『英国は大東亜における膨大なる自国の権益を失つては大変だといふので対日戦備を進めつつ米国抱込みのためあらゆる手段を弄し遂にこれに成功した、つまり米国をして日本と戦はしめようとしたのだ、米国はこの老獪な術策に引つかかつて日米交渉をまとめる意思はなかつたのである、ルーズヴェルト大統領は対日輸出禁止や対日資金凍結を行ふことは太平洋に戦争を誘発するやうなものだと自分の口から言つておきながら敢へてこれを実行した、戦争の責任が誰にあるかは極めて明瞭である、米国は英国の口車にのつて戦争の火つけ役をつとめたが米国も大きな野心があつたといふことが出来よう、両国はお互に対日戦争を誘発し日本を袋叩きにするつもりであつた、英国は米国の太平洋艦隊をもつて日本に当たらしめ英国はシンガポールで日本を食ひ止める算段であつたと見られる、然るに米海軍は真珠湾に致命的打撃を被りシンガポールは脆くも陥落してしまつた』

 

 

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